ギャラリー 並木
ここで展示した
ビル街
灰色の空、
全く自然物を排斥というより
もともと自然はない、
高い雑居ビルが立ち並ぶ、そこを風が通る。
色とりどりのスカーフや、つるつるのショウウィンドーが、死の街をより、際立たせている。肌にふれても、体温もないし、びっくりもしない あまりにお金のかかったような感じが
罪悪感、残酷にみえる、
とりのこされるような寂しさは自分は人間で人工ぶつでないからかもしれない
しかしまたその銀座、築地の人工的な感じ、真っ直ぐな道、建物が存在する説得力があり、ショウウィンドーの奥、
第一回、出来たばかりの並木画廊の中、
来客用の椅子に腰かけて外をみていた、
自分の絵に囲まれ、
まだ誰もいないギャラリーをみる、ビル街、芸術と都市がかならずしも対立したり、都市を否定するわけでないが、このショウウィンドーのなかにいると一つのブランドである感覚になる。ブランドも芸術に近い、でも実用的だし、実用するものでなくても、旨味、嗜好的なものがなければいけないきがする
そんなことを考えながら、
絵のごとく、
自分も展示されているものの一部であるかのように、
憂鬱そうな、どこか遠くをみたり、
アーティストらしき立ち振舞いをしてみようとする
こうして、絵をぼーと眺めてみたかった
「こんな感じか」それを感じるためだったとしてもやるいみはある。
だいたいそんな遊びにも退屈したころ
ふらふらと明るく軽やかな声、
京都弁がきこえてきた
「なんや、今
お習字おしえてきたところなん」
軽やかな色づかいの服をきた
にこやかな50代くらいの婦人がきた。佐伯遊粋さんという人で書家らしい。
しかし、肩にとらわれていず、ライブパフォーマンスや服に字をかいたり、軽やかなフットワークぽいだーだーとにこやかにかたりかけてくれ、どこかアジアの国の王室のなかでライブペイントしたはなしや、能面を作っている弟のはなしもしてくれた、全く知らないはなしでこの精力的な婦人のはなしにききいってしまった。
とにかくお洒落、私も展示しようかしらと、たしか次の回で展示されていたと思う。万葉仮名というひらがな、柔らかく軽やかな字をかいている。