死んだ金魚にチュウをする『よっちゃんと木になるネコ』

死んだ金魚にチュウをする
よく金山公園の 
石に座り、木を見上げてた 
灰色の空、木がそこにすっと手を広げてる 
黒くみえる 
横たわる池も空のように緑灰色だが 押し黙ったかんじだ 

一緒に子供と遊ぶでもなく 定点として いた。ぼーと遊んでるのを少しはなれてみてる感じだ 息をする 
景色を見るくらいしかしていない 
気がつくと、砂
地面に絵をかく影がのびている。土の色が赤くなってくる。 夕方にくると落ち葉が赤い波のように鱗のようにチラチラと うねり、木は 日差しを受け、大きく木の影が地面に落ちた。 池も光を反射し 光るまた 調光師のしわざのような色のない空に オレンジピンクのような淡い色がはいる 
もう 帰る時間だよ 
と 鐘がなる 
  お手て  繋いで皆帰ろう 
カラス 
が 流れてくる 

『よっちゃんと木になるネコ』を

どうして描きはじめたか

飯田くんのお父さんの死など病があった
でもようは生きてくほうに向かってなかったのかもしれない
自然という死 
細胞垂れ流し 
半年
一年 公園にぼーとするでもなく立ちに 
通ってた 
日々がきれいだった

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細胞の生きたいようにすればいいとおもう
なおるものなら病気は治る
細胞の邪魔せず 疲れてたら休み 毒をだしたきゃだし
エネルギーがあるならだす 

どっか間違った方向にいき 軌道修正できないとつらい 
 でも 病気がなければ死んでいたかもしれない 
生きてると
バランスがいいとは難しい

バランスをくずしながらとるくらいでいいしかんぜんに止まってしまって バランスをくずして 倒れたら倒れたで それから考えればいい 

ごはんをたべ 家事をし そこを回って生活してたが 満たされていた 

春がきて 欲望とはいいことだ、自然横たわるもの、一つの死都市の細胞になっていきてるとこからみると意志をもって何かしていないことは マイナス、マイナスとかプラスがあったようにおもう、前向きがいいとか、無駄を省く、無駄とか断捨離とか、病もいむべきものとされる死とか老いとか、無意味なこと、意味をもとめたり、でもとにかく力をぬいてよこたわるとどこか別のとこから、欲望がめざめだす、産みだす力と 創作意欲は私の中で似ている 

光の中で浄化される 

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それから2年 くらいたった 『よっちゃんと木になるネコ』をはじめてから 

家事だけ淡々とやる
受け身的なようで
自分が何かするより
自然を感じたり
ゆっくり過ごすことは
内側を大きくかえる

長男が
お祭りの日に もらってきた 金魚すくいの金魚は 長生きした 
やっぱり 公園の近くの土などをいれたから微生物がすんで 
こけも もってきたのを食べていきていた 一家の仲間入りをした金魚には
金魚鉢やらスポイト餌
などが買われた 
留守にするとき、何日ぶんか土、こけを大量にあげたら 
死んでしまった 

雨の日に、せめて 
なにかつながりたいと死んだ金魚にちゅーしたら 空をとんでるような 金魚がおもいうかんだ 

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『よっちゃんと木になるネコ』
はそうした日々に 
最初つくられた 

次男の産後一年くらいだ