ego/エゴ

2002年和紙、アクリル、日本画
武蔵野美術大学で 学生をしていた 
太宰修が入水自殺を図った 玉川上水沿いを鷹の台という駅から歩いていくと30分くらいで 大学があった 

その道が長く 楽しそうに 仲間といく学生 木々の間からもれる光をあびて 大学にいくのだが 
その道が 当時は苦手だった  
気が遠くなり 楽しそうな人をみると 劣等感を感じるみたいで 軽蔑していた 
重たい身体と絵のパネルを引きずり歩いた。
これは 日本画を専攻していたのだけどそこで出た課題で 
なんの課題だったかわすれたけれど 
なるべく 醜く ふてぶてしく いつわりなく書こうと思ってかいた 

その絵を提出したあと 玉川上水を歩いてて 誰かの存在を感じた 

その頃
一人だった 
夜 帰っても どうやって過ごしてたか 
あんまり覚えてない 
共同の風呂 洗濯機で家事なんて全くしなかったから 
風呂が 自分で追い焚きしたり 中で火を点火させなきゃいけないもので お風呂にはいるだけで一苦労だった 

洗濯機も二層式のもので どうやっていいか当時はよくわからかった 

絵をかくと畳を汚し 畳を腐らせたり 
布団を干したまま 1ヶ月くらいいなくて きっと雨にもぬれたんだろうけど乾いたりしてた 

チラシをたくさんちぎって 裏の駐車場に撒き散らしたり 
裏の道路でかっこいい車をみると ヒッチハイクしたりした 

ゴマ油 五穀米 正油は よく食べてた 
それからキャベツ炒め 

ゴミのしわけができなくて 朝方コンビニにこそこそ捨てにいったりした 

お風呂そうじが 面倒で 国分寺まででて 
サウナのようなところにいったり 
野菜が食べたくて 
中華料理やさんで二品も 野菜いためやくうしんさいを頼んだ 
そんなときは
お腹が 満たされたり すればするほど 
さみしく 惨めになった 

楽しく生活していた学生たちは今 思うとやることやって笑ってた 

どこか ちゃんと生活するのはカッコ悪いと思ってた 

で だけど 絵をかくことだけで いや 生きてくだけで 自分は自分の命を信じてた 
そう簡単には のらないぞ  学校で教えてくれること 絵 
いや 絵じゃなくとも抗いたい 
抗わなきゃ 
自分じゃないんだ 

と思ってた 

そんなとき一人ぼっちだけど 誰かの存在を感じた 

習うことでなくなる個性など個性とは呼ばないと親はいっていたが 
自分の中に芽生えた 抗いたさと
習うこと 
二つのしんをつくるような器用さはもちろんもっていなく 

学費未納退学という名前で 武蔵野美術大学は 消えることになった 

しかし あの公表してくれた 黒板 
一人だった  玉川上水は 鮮明に覚えている 

夜中に畑しかなく 隣駅も 繁華街もはなれたようなところだったから 夜の暗闇からは逃れるすべもなく 畑の真ん中の線路にでて 写真をとったりぶらぶらしたり
本当に 暗闇に対する一人ぼっちな自分を どうたのしむかあきらめるかのすべもしらなかった 

自分を見つめるというより 抗うものがあることで自分を感じるような

ふらふらしたじかんだけどどこにも身をおけず
今 思うとそこから 
よく あやふやさをとおって生きてきたようにおもう

夜中の隣人の鍵の音 二層式洗濯機のガタゴとなる音 夜中 
田舎をはしる ばかにきらびやかな音量いっぱいの車の 騒がしさに憧れてみたり 
夜中のちらしをなげたたり

私でありたいと思いながら私というものを呪いのようにも
おしつけられたもののようにも感じられ
感覚もどこからどこまで心地いいのか悪いのかまったくてんでわからなかった

鷹の台という駅に武蔵野美術大学はある
鬱蒼とした 玉川上水鬱々と した住宅街 
静かでいいとこだが 20代の私には生活というものが重く感じた( 今でこそ生活のなかに生きるのがほとんどだけど) 
夢も希望もなく
描けなく
でも偉大な画家になるぞという 言葉にしかできない漠然としたものを頼りに生きてたように思う