どんぶらこ03

灰色のそら
灰色 の水

許されて悲しみや

とかしていく

淀みは

怒りにならない悲しみと 優しさ

うらがなしさ

きれいな川もながれたる 淀み川も いつかは 海にたどりつく どこかにたどりつく

濁り川と呼ばれる川が 排水口のわきで

今日もながれる

花上さん 飯田くんは川も 喜ぶ

身をまかせる

その垢も

この垢も好きだったように

幸せが幸せか

海にたどり着くことか?

どぶ川を ぷかぷかと のーてんきこそがいい

どんぶらこは 鎮魂

しかしふたりは

もっと低い

一緒にいや

好きにながしてください

川の女神がいたら

そっとたすけてくれる

川は地面

積み重ねられる歴史とはまた別に流れてきた流されてきたつみかさねられないものが流れてる

それは 

ひめられた生命力だったり、まだ未開な可能性

都市になり固まったからだ とは別の

生き物であるきがする

境界線に花上さんや飯田くんはすっとたてるのだなとおもう

向こうの岸とこっちの岸

境界線で何を感じながされているんだろう?

何故、濁った河を

すこし 怖いとおもうのか?

もちろん 下に何があるかわからない

こわい生き物がいる 噛まれる

それだけなのか?

最近、池を掃除する番組がはやっている 大好きでよくみる

怖いぬるぬるして

怪獣みたいな目をした生き物などでると 「うわっ」とおもいながら喜んでいる

ゴジラもそうだが

そこに失われた身体性があると思う。 川に 何かがいる 幽霊のような

一種の罪悪感かもしれない

都市が都市であるために 見せない顔の反対側

都市に住む人の失われた後ろ姿

垢はいつから どこから 垢なのか?

うんちはいつから

自分じゃないのか?

飲んだラーメンのしるは

出したあとは自分じゃないのか?

パソコンなどで身体が 拡張してるなどというが またそのはんたいに 記号にできない 身体的な部分では生まれる ところから 食べる 出す 

死んでくとこまで

直接的に 生と死が出会うところにいないし

自分をきれいにするあまり 自然とのつながりが たたれている

身体の肉ぽさをはぎおとし、記号になりたい

それがクールだ

でも自分はどんなにはなれても

川のちかくで 何かをたれながしていきてる

本当は記号でなく

生き物として 土や空 光 そこにすむひとたちと土地が 同じような菌のなかでいきてたとおもう

自分だけ 自分でいよう

離れようとすればするほどあかもうんちも放射線もゴジラのように怪獣になっておいかけてくる

罪悪感みたいな

自分が出したものも 知らない

という世界でなかったとおもう

死んだばーさんも山で一緒に生きている

どんだけ

土から 遠くきたのか?

それをかっこよくみせるのも土だ

という舞台もあるとおもう

でも花上さんと飯田くんは 普通だ

のーてんきにそこそこあっぷあっぷ 泳いでいる

人間だ

人間らしい

境界線を泳いでいる いや 流れてるんだよ

本当は死体も汚れとして排除したものも一緒に生きてる

なんなら 垢のなかにこそ 楽しい思い出や 汗が ある

そんな

のーてんきさがある

これは 単純にみえるが いっさいがっさいのみこんで なげかける問いをもった

作品のように思う

のーてんきにしても

普通にしても

桃太郎は桃太郎だ

川を 流されてきて

幸を呼ぶ