虹/Rainbow

2004年3月8日~13日
ポルトデザール ギャラリーテアにて個展

この絵をかいたのは 2002年
画材はアクリル。
武蔵野美術大学に
籍はおいてあったがほとんどいかず 
バイトもほとんどしいていなかったので 何をしていたのか 
一人でぼーとしてたときが多いと 思う 
が このころ 絵についてとかよく考えて 結果 よくわからないものを あとからみると描いてるようなときがあった 

恍惚感のような ボケっとしたような 状態と絶望的など 言葉にして感じてはいなかったけど 一人でいたような気がする 
 学校の課題で出される 動物園に行き 動物をかく など 
何か対象をうまくかくなり 個性をそこで出すとか それを日本画の技法でやるというのが 古くさく感じていた 
ぬりえみたいに思えてしまった 
その中で 個性なり心情 世界におとしこんでいく というのが 
技法を磨いていったり 感覚に 溺れていってというか 
絵に出来なかった 

純粋だったようには思う 

でもひどく楽しく
友達はいなくとも 
どこかで 充足してたような 時期だった 

でも
今思うと美大は学校学校していない 
アトリエがあって 
ほとんど誰もいない 毎日何人かが おしゃべりしながらとかかいている 
生活やらバイトやらにいそしみ
絵を考える
先生は1ヶ月に一回くらいしか来ない
公表以外は予備校のようなことしかいわない、みんな作家で自分の世界に忙しいようだ
デザイン科のこは金魚のようでウォークマンききながらお洒落をしてやってきてた 
あぶらのこはつなぎをきて それが絵の具だらけで アトリエに積極的にいて外でたばこをふかして制作にいそしんでた 
イーゼル越しに目があうとそれまで話さなかった空気がとけ
「あのさー」
とこっちこっちとはなしかけてきたり 
みんな 自分の世界 
絵の世界 と日常をいったりきたりしてて まだ
自分の美を追及しようというところまでいっておらずかといって どういうたちいちでかく か とか 
追及する以前の 何かこのようなものと 
輪郭がでたりでなかったりぼやと 得体のしれない時間 
自分の感受性とそれをどう おとしていた自分の空間があって人を眺めれる
近寄りすぎると影響しあいそうで離れたり、金魚はちみたいな場所だった、無意識のような時間で
貴重だったようにおもう

子供が石を積んでいるような日々 日向で誰もいなくても楽しい 時間 

みんなで楽しい 
面白い  サッカーぼーり 

石の音 

一人ごとをぼそぼそはいてみたり 

芸術は 耕す 
アートからきている生活 生命力に根ざしている 

美術は 美しいとは 
中国からみたアメリカ 羊からきている 

ちょっと違うのだ

色がたくさんある
極彩にもなるし
黒くなることもある 
アノコのなんてことない 一人ごと 
無防備な一人ごとを 一人遊びを
そのままにしてくれるような場所だったように思う

予備校の時の先生が
田口先生が画廊を紹介してくれ
銀座で初の個展をした芽衣桃子さんがきてくれ 一緒にオープニングで踊ってくれた 白いシーツをかぶり 蝋燭を持ち 儀式のような様式でおこなった 
展示と私のうんたらに夢中で
 ちゃんと私を感じて と 桃子さんにおこられたのを覚えてる 失礼なことをしたものだ 
そして自分の意思で 展示して そこにたちあってくれた人がいるのは 小さな一歩だったが そういうことに 労力をかけて得るものはあると知った 
馬鹿馬鹿しいとか 
並べてみてこんなもんか  でも 悦に入るんでも 自分による自分祭り をやったほうがいい 
世に問う とか おおげさなことでなくても 
  何かをくれるでもなく 一緒に共有して時間をいてくれた 
人に感謝

やっと今 あのときの虹色の時間をありがたいと感じている