巡礼芸術『セザンヌ』 INフランス02

ぼくがセザンヌに興味を頂くようになったのは、岡本太郎が切っ掛けだった。太郎がフランスで留学しているときに、セザンヌの絵を前に2,3時間留まり、涙を流したと書いてあった(と記憶している)。
 その頃、ぼくはこのような経験もなく、生きていることそのものを突きつけられる経験、つまり、生命の根源、人生の根源に触れるようなアプローチをぼく自身が知らなかった。知らんぷりをしていたのだ。
 絵を見て、有名だとか、本で見たとか、いくらの絵だとか、本当にくだらない情報で、芸術にふれていたのだ。テレビでときどきみる絵画紹介の情報をただ受け流すに過ぎなかった。
セザンヌと岡本太郎が向き合った。じゃ、ぼくもと、新宿の損保ジャパンにある美術館へ行った。ゴッホのひまわりの絵と並んで展示された絵の前で、ぼくも30分ぐらいはいたと思う。まったく何も反応しなかった。
 まったくわからなかったと言ってもいい。どこがいいのだろう。自問自答してもまったく言葉がでてこない。湧き上がる感情もない。そういえばと思い出したのが、 石川サブロウ 作の漫画『蒼き炎』だった。明治時代、画家を志して、フランスへ旅立つ。そこでピカソや様々な画家に会うのだが、そこにセザンヌもいた。

引用 https://booklive.jp/product/index/title_id/442775/vol_no/007

セザンヌの本物の絵を見たあとも、ずっとセザンヌは気になっていた。どうもセザンヌは分析的に頭で理解するものじゃないのか。それは不可能なのだろうか。芸術とはそもそもそういうものなのか。

だが、次にセザンヌについて出会ったのが、メルロ₌ポンティの書物の中だった。『知覚の現象学』のなかで語られているのを発見したときだった。

「トランプをする人」photo by Koichi Iida

「われわれは、物をわれわれの身体やわれわれの生の相関者として規定することで、物の意味を汲みつくしたわけではない。結局、われわれは、われわれの身体の統一性をただ物のそれの中で捉えているにすぎないし、またわれわれの手や眼をはじめすべての感覚器官が、われわれにはちょうどそれだけの数の交換可能な器具のように思われるのも、物から出発しての話なのだ。身体それ自身とか静止状態の身体とかは、どんよりした塊でしかないわけで、われわれがこれを固定可能なはっきりした存在として知覚するのは、身体が物へ向かって動くとき、つまり、身体がみずからを指向的に外部へ投企するかぎりにおいてであり、しかもそれでさえ、目の隅とか意識の辺縁でしかおこらず、その中心は諸物や世界によって占められているのである。」( 『知覚の現象学』 P174 )
 それから、セザンヌについて「セザンヌの風景は『人間がまだいなかった前世界の風景』なのである」 (同書P175) 、この説明は、前述にある「セザンヌは、若いころの作品ではまず表情を描こうと努力したが、まさにそれゆえに彼は表情を逸してしまった。彼がその後すこしずつ学んでいったのは、表情が物そのものの言語であり、物の布置から生れるということだった。彼の絵画は、物や顔の相貌をそれらの感性的布置のまったき復原によってとりもどす試みである」(同書P175)と言っている。

なぜ、わたしは、上記を引用したとかというと、ここにダンスにとけるダンサーの表情のこと、舞踏における身の置き方のヒントが散りばめられていると思ったからだ。
 なぜ、顔は踊らないのか。顔は無表情、あるいは、舞踏は表情を固定化するような振りをするのか。視線はどこへ向けるべきなのか。何を見て、何も見ないようにするのか。何を見つめるのか。ダンス、あるいは舞踏において、知覚をどうすればいいのか。「眼は口ほどにものを言う」というが、眼の問題、顔という感情や状態を表現してしまう身体をどう扱うべきであろうか。この引用だけでも、多くの気づきを得たからだ。
 ぼくが振付をするときに、この考えを取り入れて、身体を布置し、表情を在り方をしばしば取り入れ、このような見方で作品に向き合うこともあった。

他にも、セザンヌについてE・ベルナールが書いてあることや、セザンヌ自身の言葉には、画面の作り方、色や形への言及もある。

「玉ねぎのある静物(Nature morte aux oignons)」
photo by Koichi Iida

ぼくは、それからセザンヌの絵の見方を変えられ、いつしか、いつか実際にフランスのエクスアンプロバンスへ赴きたいという願いを持つようになった。

そして、ぼくは2018年6月にフランスのエクスアンプロバンスへ行き、
アトリエを訪ね、サントヴィクトワール山をみる願いを叶えるのだった。

セザンヌの絵具 撮影・セザンヌのアトリエ
photo by Koichi Iida