大竹宥煕氏が書いた彗人社のロゴ

大竹氏と2ショット

彗人社のロゴを作成することになった。
舞踏家であるが長年,臨書を続けている大竹宥煕さんに書にしていただいた。

今回のホームページを作成していただいた株式会社ハップデザインの吉岡幸一さんからの提案だった。

吉岡さんからすぐに筆文字がいいというアイデアが出た。
ちょうど大竹宥煕さんの公演を鳥取博物館まで見に行ったところだった。
内田あぐりさんという日本画の展覧会で,大竹宥煕さんの舞踏ムービングをデッサンするというもの。

チラシ
日本画展覧会「動/静」

それ以外に,鳥取まで行った理由は大きく二つあった。
一つは,内田あぐりさんと大竹宥煕さんの舞踏がどのようにコラボするか立ち会いたいと思ったから。
二つ目は,大竹宥煕さんの直筆の手紙があまりにも魅力的だったからだった。

一つ目の理由をもう少し説明すると,大竹宥煕さんの公演は,内田あぐりさんという日本画家のムービングデッサンのための舞踏であった。
内田あぐりさんは,妻の知子の日本画の師匠でもあった。師というと大袈裟かもしれない。武蔵野美術大学の先生といったほうがいいかもしれない。だが,妻いわく日本画で一番影響を受けているかもしれないとのことだ。またその大竹宥煕さんは舞踏家であり,知子の舞踏の師でもある方で,以前から知っていたが,妻を通して知っていったというのが本当のところだ。

さて,二つ目の理由が,今回のロゴに結び付く。
直筆の手紙がこんな感じ。

大竹氏_直筆の手紙
大竹氏:直筆の手紙

大竹宥煕さんの書は誰かに習ったものではないという。
ここからはぼくの書の解釈だが,
古今の達人たちの書を臨書して,いまの書に辿り着いたとのこと。辿り着くというと,一つの書の形式と思われてしまいそうだが,古今の書が一つのスタイルの一つの極みに達するわけではない。
時代ごとに極みは違う。たとえば,わたしも好きな良寛の書と藤原定家では,まったく書の形が違う。
書の歴史でいえば,王義之があの時代の最高峰であったが,それがずっと続くわけではない。だが,王義之やもっと前の時代から書の歴史があるから,臨書は書の歴史を追うようにするのだ。
写真で見て,わかる通り,惚れ惚れする。大竹宥煕さんの文字に惚れてしまったのだ。
だから,追いかけてしまった。ぼくはしばしばそういうことがある。
大竹宥煕さんを東京まで追いかけたのは,わたしだけだった。

そんな経緯もあり,ぼくは,ロゴを書にするという提案があったときに,
即答し,吉岡さんに手紙も見せた。
吉岡さんすぐさま同意し,善は急げとばかり撮影をしましょうとなった。
次の日には大竹宥煕さんに電話をし,ご自宅での撮影を快く引き受けて頂いた。

これが,書をしている大竹宥煕さん。

ご自宅も整然としていて,緊張感がありながら自由な空気に覆われている。

伺うまえに,すでに練習されていた。
会社の名前を付けた想いを伝えると,また字が変化し,伸び伸びとしていった。
大竹宥煕さんの肩越しに,彗人社の世界が広がっていった。

大竹氏の書を見つめる
大竹氏の筆の流れを眺める

わたしが考えた意味以上に,文字のもっていた奥深さが伝わってきた。
舞踏もそうだが,踊りつつ,未完成のまま,ただ表現が広がっていく様子がありありと目撃したのであった。

<これがロゴとなった書>
ハップデザイン株式会社の吉岡幸一さんがデザインした。

彗人社ロゴ

いま,この書は額に入れて,飾ってある。